民主主義の試金石としてのワクチンパスポート

【緊急報告ー3】

  民主主義の試金石としてのワクチンパスポート

    フランスの生活はどこまで戻り、どうなるのか

                      (2021年8月24日脱稿)


新型コロナウイルスが発見されて早や1年半以上、感染拡大は「第5波」に入ったと言われ、世界中が閉塞状況に陥ったままです。累計感染者数が世界4位水準にあるフランスも同様で、東京五輪・パラリンピックを3年後にパリに引き継ぐだけに、今後どうコロナ禍を収束させていくのか、あるいはどう共生していくのか、その手腕が問われています。フランスではワクチン接種の進捗から徐々に経済活動が再開され、市民の生活も少しずつ戻りつつありますが、飲食店などへ入る際にワクチンの接種証明書の提示を求められることに「自由の侵害だ」と全国的な反対デモまで起きています。新型コロナへの対応は「民主主義とは何なのか」という問題にまで広がっており、これは日本人にもいずれ降りかかる問題として看過できない問題でもあります。

今回の「緊急報告」は、そうした問題意識を前提に、目下フランスに在住する同国人の報告から、長引くコロナ禍のなかの生活の変化を追います。

1、街に人々が戻り、杯を傾ける姿も

まずは、現地の人々に今の街の様子を聞いてみましょう。

パリ在住のパオロ・ルファ(Paolo Ruffa)さん:

「パリの生活は少しずつ、正常に戻りつつあります。ショッピングセンターやレストラン、バーやナイトクラブも営業するようになりました。多くの人々が一杯ひっかけるために夜間にも外出するようになり、時にはソーシャル・ディスタンスも保っていません。私の周りの人々は皆、すでにワクチンを接種していますから、不安もほとんど感じていません。街の人々の表情は3カ月前と比べると非常にリラックスしたものとなっています」

中世の街並みの残るフランス南部モンペリエ在住のマルレーヌ・プティ(Marlène Petit)さん:

「夜間外出禁止など住民の封じ込めが終わったことで、モンペリエの街はコロナ禍以前ほどではありませんが、かなり活気を取り戻しています。レストランやカフェのテラスで、昼食をとったり、お酒を楽しもうと外出したりする人々の姿を多く見かけます。海辺や街道も人の波で溢れています」

カフェテラスにも客の戻ったモンペリエの街=マルレーヌ・プティさん提供


2、進む規制緩和、外国人観光客も徐々に

フランスをはじめヨーロッパ諸国は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、日本よりはるかに厳しい行動制限を課してきました。フランスでは通勤、通学、通院、買い物、軽い運動のために外出する際には理由を記した申告書を持ち歩く必要があり、夜間(午後7時~午前6時)の外出を禁じていました。小売店やホテルの営業は認められたものの、デパートや飲食店は閉鎖・休業を余儀なくされていました。

しかし21年春以降は、フランス政府もEU(欧州連合)と歩調を合わせて、コロナ対策の規制を緩和する方向へと動き出しています。コロナ感染がひと頃よりは落ち着き、ワクチン接種も順調に進んでいると判断したためです。フランスはまず5月に、飲食店のテラス席での営業を認め、6月末には夜間外出制限も撤廃しました。運行率を下げていたフランス国鉄の高速鉄道TGVも、元の運行率にほぼ戻っています。

フランスでは本格的なバカンスシーズンに入って、外国人観光客も戻りつつあります。パオロ・ルファさんに言わせると、パリジャンはバカンスに出かける一方で、パリには多くの観光客を見かけるようになったものの、まだまだ以前ほどではないとのことです。マルレーヌ・プティさんの住むモンペリエでも、フランス人観光客の他にスペイン人、デンマーク人、オランダ人などの観光客の姿を見かけると言います。アレクシス・モラン(Alexis Morand)さんの住むスイス国境とのジュラ山脈麓のフランシュ・コンテ地方、ブザンソン近郊でもドイツ人、スペイン人、オランダ人などの観光客の姿が目につくようになったと言います。

3、仕事などまだまだ打撃、将来に禍根も

しかし、観光客の姿もヨーロッパの人々にまだまだ限られるようですね。EUは夏のバカンスを見越して、新型コロナのワクチン接種済みを示す域内共通の「デジタルCOVID証明書」の運用を開始、国境を越える際に隔離や検査が免除されています。日本政府の発行する新型コロナのワクチン接種証明書も、8月中旬以降にフランスへの入国時に認められるようになりました。ビザの発行時や入国審査の際に接種証明書を示すと、入国後の待機期間が免除されたりします。

それでも、フランスでの生活もまだまだ元通りにはなっていない、と皆が口を揃えます。「どこへ行くにもマスクや密を避けるよう気を配らなければならないし、大型コンサートなどはまだ開催できません」とアレクシス・モランさん。パオロ・ルファさんは自宅から離れた場所へ通勤していますが、週に3日以上は会社に行くことを許されていません。「友人の多くは行きたい場所へ旅行もできず、仕事も打ち切られたりして、消耗し切っています」とげんなり顔です。

フランス語の講師をしているマルレーヌ・プティさんは、「交換留学生や語学留学性が減って、フランスでの仕事も減っています。その上、いつもオンライン授業ばかりです」と話します。パオロ・ルファさんの母親はフランスやレバノンの料理を企業に届ける仕出し屋として働いていますが、「1年以上も仕事がなく、企業が行事を行えない状況下で新しい仕事にもありつけない有り様です」と言います。

フランスを含むユーロ圏はロックダウン(都市封鎖)の緩和で経済の正常化が進み、21年4~6月期には実質域内総生産(GDP)が3四半期ぶりにプラス成長となるなど景気に回復の兆しがみえていました。しかし、フランスでは失業率が8%と高止まり状態にあり、今後さらなる悪化が予想されることから、マクロン政権に対する批判も再燃しています。折しも、新型コロナのインド型(デルタ型)が猛威を振るい始め、フランス国内の新型コロナ感染者数は再び増加傾向にあります。

マルレーヌ・プティさんは早々にワクチン接種を終え、美術館やフェスティバルに出かけるなど普段の生活に戻りつつあると言います。アレクシス・モランさんも同様で、そろり外出して、マスクや手洗いを励行しながら散歩を楽しむようになりました。しかし、「レストランなど商業施設を対象にした新たな制限は、また客を遠のかせることになるのではないでしょうか」と心配する。

4、ワクチン接種証明が社会分断の危機に

一日6万人もの感染者を出した20年11月よりは少ないものの、一時は一日1万人程度に減っていた新規感染者数は21年8月には一日2~3万人へと再び増加しています。一方で、フランスでの新型コロナに対して2回のワクチン接種を終えた割合は61.58%(8月22日現在)と高水準にあります。そして新規感染者の大半がワクチン未接種者であるとして、マクロン政権はワクチン接種率を高めようと新たな対策を打ち出しました。経済活動を軌道に乗せながら、コロナ感染も封じ込めようというものです。

フランス政府は8月からレストランやカフェなどの飲食店、ショッピングセンター、また鉄道や航空機で長距離移動する差には、ワクチンの接種証明や直近の陰性証明を義務付けました(50人以上を収容する娯楽・文化施設は7月21日から)。客がスマートフォンでQRコードを示し、店側がそれを読み取る仕組み。応じない顧客や店舗には罰金が科せられます。しかし、その対象が広範囲に及んでいることから、「個人の行動が極端に制限される」としてワクチン未接種の人々からは怨みの的となっています。

ワクチン接種には、日本も含めて一定割合で断固拒否する人々がいます。フランスでは「我々はワクチン未接種!」と声高に叫びながら、ワクチン接種証明の提示に対する反対デモが全国に広がっています。7月24日には全土で16万人以上がデモに参加、デモ隊と警官隊の衝突が相次ぎ、拘束者や負傷者も多数出ました。

ワクチン接種の提示義務に反対して、モンペリエの街を練り歩くデモ隊の人々。プラカードには「我々の死刑執行人と彼ら権力の支配者を排除せよ」と書いてある=マルレーヌ・プティさん提供


そうしたフランスの混迷した政治状況を、上記の3人はどう見ているか。みなワクチン接種の必要性とその効果を訴えますが、政府の政策は「市民の安全を守るには遅過ぎるし、十分ではない」と感じているようです。

マルレーヌ・プティさんは「多くの国民はワクチン接種に反対していません。地方は大都会と比べてワクチン接種も容易に進まないなど、国民の分断が進み、緊張感がみなぎっています」と感じています。その関連で、ワクチン接種に反対するデモも捕らえられそうです。そして、「デモ参加者はワクチン接種の強要を、独裁やホロコースト(ユダヤ人虐殺)との関連で捉えています。でも、彼らの大半は間違った情報を与えられて、単に政府に反対したいだけと思われます」と続けます。

5、民主主義が試される来年大統領選

フランスは来年の22年、大統領選挙を控えます。マクロン大統領は再選に向けて、経済の回復とコロナ撲滅を両立させようとしていますが、21年6月の統一地方選ではマクロン与党の退潮が目立ちました。そのマクロン氏に17年の大統領選挙で敗北した極右政党・国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が再挑戦し、接戦が予想されています。ルペン氏はEU離脱といった過激な政策は封印し、マクロン政権のコロナ対策を批判することで、極右色を薄めて市民に寄り添う姿勢をみせています。

人間の自由の尊厳を旗印に掲げたフランス革命という人類の金字塔を打ち立てたフランス人は、自らの行動を制限されることを異常に嫌います。コロナ下のロックダウン状態においても、セーヌ河畔を散策する人の姿が絶えませんでした。それはもともとはブルジョア社会の理念であったでしょうが、自由の行き過ぎが貧富の格差など社会の弊害を生んだことで、自由の制約によって少しでも平等な社会の実現にと社会主義の理念もその後フランス社会に根付いています。この辺りの理念の相克は、どこの民主主義国家にもみられるところです。

これまで自由の問題は経済活動を中心に論じられてきましたが、新型コロナのような人類共通の自然災害とかが起きた場合に、個人の自由をどこまで尊重しなければならないのかという新たな問題を世界全体が抱え込むこととなりました。社会構造が複雑になるにつれて、同様の問題はあちこちで噴出してくることでしょう。

おまけに、ルペン氏率いる国民戦線のような極右政党はまだ見えない部分があります。基本的に移民排斥やEU離脱など、ナショナリズム=自国中心主義に基づいています。保守派の人々は半ば強制的なワクチン接種にナチスの影を見ているようですが、理念的には排他的な国民戦線の方がナチスに近いものを感じさせます。彼らは大衆の支持を基盤としていますから、大衆の不満に訴えかける術を心得ています。「どうしようもないEU域内の国のために我々の税金が使われ、アラブやアフリカから押し寄せて来る移民・難民のために我々の職さえ奪われている」—―そんな国民の不満の受け皿が国民戦線となっています。

ドイツ・ナチスも当初は自由に溢れたワイマール共和国の矛盾が表面化した際に、現状に不満を抱く人々を吸収して政権を獲得しました。しかし、政権獲得後は既存の政党も労働組合を全て解散させ、ナチズムへの共鳴を強いる全く自由を抹殺する強権政治へと移行しました。保守派の人々は経済的にある程度恵まれている層が多く、自らの生活に固執するところから、それを守るためなら悪魔の手にも魂を売りかねないところがあります。ナチスが国際的に孤立して戦争に突入しても、ユダヤ人をどれだけ殺そうとも、彼らは「我々は自由だった」と述懐しています。そうした保守派の人々が極右勢力と結びついたときにどうなるのか。

新型コロナは新たな国民の分断の象徴として、それぞれの国に民主主義の在り方を問うことになるでしょう。フランスにおいては、さしずめ来年の大統領選がその試金石となることは間違いないでしょう。

フランス事始め

政治から文化まで世界のモードを牽引してきたフランスを多面的に論じ、知識・理解を深めてもらうことで、我々の人生や社会を豊かにする一助とする。カテゴリーを「地理・社会」「観光」「料理」「ワイン」「歴史」「生活」「フランス語」と幅広く分類。横浜のフランス語教室に長年通う有志で執筆を手掛ける。徐々に記事を増やしていくとともに、カテゴリーも広げていく。フランス旅行に役立つ情報もふんだんに盛り込む。

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