フランスってこんな国!<地理編>

フランスってこんな国!<地理編>

1、丘陵地に広がる田園風景、山岳地帯が地中海に迫る南部【地形】

フランス(France)は非常にまとまりのいい国です。面積は日本の1.5倍ほどの約55万平方㌔㍍ですが、フランス本土ならパリから1000㌔と離れておらず、どこへでも短時間で行けます。よくフランス国土は六角形(ヘキサゴン=Hexagone)に例えられ、その左上に大小の角を2つ(ブルターニュ=Bretagneとノルマンディー=Normandie)をつけた形と形容されます。

フランスの国土は、平野と緩やかな丘陵地帯が約7割を占めます。だから、人間の住める可住地は森林の多い日本の3.5倍もあると言います。特にフランス北部は大平原ですから、パリから郊外へ出て車窓に小麦畑や牧草地がどこまでも続く景観は壮大です。山脈は東部のライン(Rhin)川に沿ったヴォージュ(Vosges)山脈とジュラ(Jura)山脈がそれぞれドイツとスイスとの国境線に、南西部のピレネー(Pyrénées)山脈がスペインとの国境線となっています。フランス南部にも中央高原がイタリア方面のアルプス(Alps)山脈へと延びていて、長く交通の障害となっていたことで南フランスは独自の文化圏を持つようになりました。南フランスは平野が少ない代わりに、ブドウ畑やオリーブの低木の広がる丘が白浜の続く海岸線に迫り、その対比が地中海独特の美しい景観を作り出しています。

                            北部ノルマンディーの海岸線      

                                地中海ニースを望む海岸線


2、高緯度でも夏は涼しく、冬は温暖【気候】

フランスは西に大西洋、南に地中海がありますから、北と南とでは気候が随分違います。

パリの緯度は樺太と同じですが、メキシコ湾海流の影響で冬でも比較的温暖な海洋性気候です。日本の東北地方と同じように春の訪れは遅く、マロニエなど多くの花が5月になって一気に咲き乱れる感じです。夏は気温が25度以上になることは少なく、湿度も低く過ごしやすいですが、乾燥で喉がカラカラに渇きます。秋の訪れも早く、11月はもう完全に冬で、曇天が続き時雨れることも多い。全体的に日本より雨は少ないものの、好天は少ない印象で、一日の間でも天気が変わることが多いので、雨具は必携です。しかも、近年は夏に気温が40度を超えたり、冬には極端な寒波が襲ったりと異常気象に悩まされることも多いですから、天気予報をきちんと見てそれなりの準備が必要でしょう。

一方、マルセイユなどプロヴァンス(Provence)地方や、カンヌからニースにかけてのコート・ダジュール(Côte d’Azur)地方は南国リゾート地とあって、夏は高温といっても日本よりは涼しく、冬は温暖湿潤な地中海性気候に属しています。湿度も低く、1年を通じて雨が少ないのも特徴です。夏に、冬に、フランス人がこぞってバカンスに訪れるのも分かる気がします。ただ、冬に時折ミストラルという冷たい北風が吹き降りてくるので、ご用心。

また、海から隔てた内陸部、特に中央高原からアルプス山脈に至るフランス中央部から東部にかけては夏と冬、昼と夜とで気温差の激しい大陸性気候です。それは逆に、山々の織り成す美しい景観を抱く山岳リゾート地とともに、スキーヤーの聖地シャモニー(Chamonix)や、アルピニストの目指すアルプスの最高峰モンブラン(Mon Blanc)など世界中から人々を惹きつけています。


3、川沿いに広がる景観の素晴らしさ【主要都市】

                       (明石書店『現代フランス社会を知るための62章』より)


フランスはパリ(Paris)への一極集中の度合いが高い。パリの人口は214万人(2019年)、都市圏全体では1096万人。フランスの人口は6699万人ですから、6人に1人はパリとその周辺に住んでいることとなります。他に人口100万人を超える都市はなく、農地・牧草地の広がる広い国土に中小都市が点在している印象です。

パリがイギリス海峡に注ぐセーヌ(Seine)川沿いに発達したように、フランスの多くの都市は大西洋や地中海に注ぐ川沿いにあります。川沿いに歴史的建造物の並ぶ景観はどこもすばらしく、世界遺産に登録されているものも多くあります。

パリに次ぐ大都市は、地中海に注ぐローヌ(Rhône)川河口に近いマルセイユ(Marseille)。人口85万人(2013年、以下同)で、フランス最大の貿易港を抱えます。ローヌ川を遡ると、ソーヌ(Saône)川との合流点に人口第3位(50万人)のリヨン(Lyon)があります。中世より絹織物の産地として知られ、食材の豊富な「美食の町」として人気を博しています。

丘の上に建つノートルダム・ド・フルヴィエール・バジリカ聖堂から望むリヨンの街並み


フランス南西部、大西洋に流れるガロンヌ(Garonne)川中流には、人口第4位(45万人)のトゥールーズ(Toulouse)があります。煉瓦を積み重ねた建物が多く、その色彩から「バラ色の町」と呼ばれます。大学都市としても名を馳せ、エアバスが本社を置くなど航空産業の拠点でもある。ガロンヌ川河口には、世界的なワイン産地としてお馴染みのボルドー(Bordeaux、人口24万人)。

                     ガロンヌ川沿いに広がるボルドーの街並み


ガロンヌ川の北を流れるロワール川河口のナント(Nantes、人口29万人)は歴史の街。中世にはブルターニュ公国の都として栄え、プロテスタントとカトリックの宗教戦争(ユグノー戦争)を終結させ、個人の信仰の自由を認めた「ナントの勅令」(1598年)でも有名。フランス絶対王政時代には、アフリカ奴隷貿易の拠点として繁栄を享受しました。第二次世界大戦後には「現代アートの町」として蘇り、その美しい街並みは観光地としても高い評判を得ています。

一方、ドイツ国境に近いストラスブール(Strasbourg、人口27万人)は、ライン川支流のイル(Ill)川の中州に発達した交通の要衝。歴史的にドイツとの領有権争いを繰り返してきただけに、ドイツ色が濃い。アルザス地方の伝統家屋、木骨組みの建物の並ぶ旧市街のプティット・フランス(小さいフランス)の他に、冬の風物詩クリスマスマーケットはヨーロッパ随一の規模を誇っています。現在は欧州議会の本部があり、EU(欧州連合)の象徴的な都市でもあります。

                    木骨組みの建物の並ぶストラスブール旧市街


他に、地中海コート・ダジュール(紺碧海岸)地方のニース(Nice、人口34万人)は、隣のモナコ公国とともに、言わずと知れた世界有数のリゾート地。瀟洒なホテル・邸宅とリヴィエラのビーチ。海岸沿いに3.5㌔㍍も続く大通り「プロムナード・デザングレ」(イギリス人の散歩道)があり、シャガール美術館など美術館の多いのも特徴です。

ベルギー国境のリール(Lille、人口23万人)はフランドル(Flandre)地方の中心工業都市。フランス高速鉄道TGVが英仏海峡トンネルを通ってイギリスへ、またベルギー、オランダ、ドイツへ向かう結節点となっています。

北西部のレンヌ(Rennes、人口20万人)はブルターニュ半島の根元にあり、モン・サン・ミッシェル(Mont St-Michel)観光の起点ともなっています。旧市街に残る中世の街並みが美しい。


4、リゾート地として発展する旧植民地【海外県/領土】

帝国主義時代の名残で、フランスは南太平洋やカリブ海、アフリカ東岸等に数多くの海外県・海外領土を持っています。これらの地域は防衛を含めた国際政治や貨幣単位など経済体制についてはフランス共和国憲法に縛られますが、法体系も含めて現地の独自の行政に委ねられています。植民地時代と第二次世界大戦後の民族独立運動との妥協の産物なのか。

海外県は5つ。まずは、南アメリカ大陸でブラジルの北に接するギアナ(Guyane)。フランス王アンリ4世時代に植民したが、フランス革命以後は政治犯を中心に囚人の流刑地でした。現在も不法移民や金の盗掘者がゴロゴロいて、危険な地域です。

あとは島嶼地域です。南アメリカのベネズエラ辺りから伸びる西インド諸島にはマルティニーク(Martinique)と、ドミニカ国を挟んでグアドループ(Guadeloupe)。そして、アフリカのマダガスカル島東方800㌔㍍に位置するレユニオン(Réunion)、マダガスカル島北西すぐのコモロ諸島に浮かぶマヨット(Mayotte)。海外県は第二次大戦直後にフランス国土となったが、マヨットは独立運動を経て、住民投票によって海外県に組み入れられたのは2011年のことでした。いずれもサトウキビやバナナなどプランテーション作物が主要産物で、観光にも力を入れています。マルティニーク島はナポレオンの妻ジョゼフィーヌの出身地で、彼女の先祖がプランテーション経営のため移住していました。

海外領土としては、ゴーギャンが移り住んだタヒチ(Tahiti)島を含む仏領ポリネシアや、『天国にいちばん近い島』として知られるニューカレドニア(Nouvelle-Calédonie)などがあり、近年は日本からも多くの観光客が訪れています。


5、魅惑の都市構造【パリ】

                             (明石書店『パリ・フランスを知るための44章』より)


パリは蛇行するセーヌ川の中の島、シテ(Cité)島を中心に両岸に発達した都市です。上流から見て北側が右岸、南側が左岸です。シテ島にあるのが、2019年4月に火災に遭い、再建中のノートルダム(Notre Dame)大聖堂で、フランス人の精神的支柱となっています。パリの行政区(arrondissement)は20区に分かれていますが、このシテ島と川を渡った右岸のルーヴル(Louvre)美術館一帯を1区として、時計回りに渦巻き状に2区、3区……と番号がつけられています。

セーヌ川対岸から望む火事で再建中のノートルダム大聖堂(2019年8月撮影)


パリで著名な地区としては、市街を見下ろす景観が素晴らしく、多くの画家が愛してきたモンマルトル(Montmartre)は市北部の18区に、1920年代にエコール・ド・パリの芸術家たちが集ったモンパルナス(Montparnasse)は市南部の14区に位置し、ソルボンヌに代表されるパリ大学など学生街で賑わうカルチェ・ラタン(Quartier latin)はシテ島の南の5区と6区にまたがっています(カルチェ・ラタンは「ラテン語の地区」の意)。

この20区を取り囲むように、全長35㌔㍍、片側4車線の高速環状道路(Boulevard Périphérique)が走っています。パリは他のヨーロッパの都市と同様に、昔は城壁に取り囲まれ、市域の拡大とともに城壁も外へ外へと拡がっていきました。現在の高速環状道路は19世紀半ばに建造された最後の城壁跡に建設されました。その高速環状道路の外側、西にはブーローニュ(Boulogne)の森、東にはヴァンセンヌ(Vincennes)の森があり、パリ市民の憩いの場となっています。

現在のパリの基本的な都市構造を確立したのは、19世紀後半のナポレオン三世治世下にセーヌ県知事を務めたジョルジュ・オスマン男爵でした。それまで汚物と悪臭に満ちた狭い路地にごちゃごちゃ立ち並んでいた古い建物を取っ払い、これによって直線の大通りの両側に整然と高層建築の立ち並ぶ魅惑の都市に変貌させました。

パリが広場と公園の都市となったのも、そのお陰です。各広場からは放射状に街路が延び、また次の広場にぶつかるという構造です。

パリの最大の目抜き通りは、やはりシャンゼリゼ(Champs-Elysées)通り。ナポレオンが建てたエトワール凱旋門(Arc de Triomphe)から、古代エジプトのオベリスク(高さ22㍍)のそびえるコンコルド広場(Palace de la Concorde)まで。コンコルド広場は、そもそもルイ15世の騎馬像が設置されたため「ルイ15世広場」と呼ばれ、フランス革命時には「革命広場」と名前を変え、国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットをはじめ多くの反革命分子が処刑された場所です。フランス革命記念日の7月14日には軍事パレードが繰り広げられ、フランス一周自転車レース「ツール・ド・フランス」のゴール地点としても賑わいます。コンコルド広場からは凱旋門が一望できます。コンコルド広場の東はかつて宮殿のあったチュイルリー(Tuileries)公園、ルーヴル美術館と続き、パリ最大の観光スポットとなっています。

                         野外美術館を思わせるチュイルリー公園


シャンゼリゼ通りの北側を走るサントノレ(Saint-Honoré)通りはフランス文学にもよく登場する通りで、世界有数の高級ブランドショップが並んでいます。その先にフランス大統領官邸のエリゼ宮(Palais de l’Élysée)があります。他に、ルーヴル美術館からガルニエ宮(Palais Garnier=オペラ座)へ向かうオペラ(Opéra)通りにはホテルや高級ブティックが多く、日本人街があって日本人向けの店舗も多くあります。

またセーヌ川左岸では、歴史的に文化人に愛されたサン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain des Ptés)地区から、若者の街カルチェ・ラタンへと伸びるサンジェルマン通りが高い人気を誇っています。

広場と公園で上記以外に有名なところでは、フランス革命の発端となり記念柱の建つバスティーユ(Bastille)広場、ナポレオンがアウステルリッツの戦勝を記念して円柱の上に自らの像を立てたヴァンドーム(Vendôme)広場、公園ではカルチェ・ラタン近くに宮殿に付随して造られた庭園の美しいリュクサンブール(Luxembourg)公園などがあります。

フランス革命の舞台となったバスティーユ広場。右奥に新オペラ座


パリから地方へ向かう鉄道も、やはり放射状に延びています。パリの中心部までは鉄道は延びておらず、昔の城壁の外側に各方面へ向かうターミナル駅が6つ造られました。

市北側の右岸には北(Nord)駅、東(Est)駅、サン・ラザール(St-Lazare)駅、リヨン(Lyon)駅の4つ。北駅と東駅はごく近くにあります。北駅からはTGVでロンドンや、ベルギー、オランダを通ってドイツ・ケルンまで行けます。東駅からはストラスブールを経由してドイツ方面へ。サン・ラザール駅からは西部方面へ向かい、ノルマンディー地方へ向かいます。リヨン駅からはその名の通り南部のリヨン方面へ向かい、さらにマルセイユからスペイン、イタリア方面まで行きます。

                              パリ・リヨン駅の概観


市南側にはオステルリッツ(Austerlitz)駅とモンパルナス(Montparnasse)駅という2つの主要駅。オステルリッツ駅はセーヌ川を挟んでリヨン駅の対岸にあり、南西方面のオルレアン(Orléans)やトゥール(Tours)へ向かいます。ちなみに、オステルリッツ駅はナポレオンがロシア・オーストリア連合軍を破ったアウステルリッツ(現在のチェコ)の戦いに由来し、フランス人にとっては名誉ある名前です。モンパルナス駅からは主に西部のブルターニュ方面へ向かいます。

鉄道はフランス国鉄(SNCF)が中心ですが、パリ市内と近郊を結ぶ高速郊外鉄道(RER)、パリ近郊路線(Transilien)などもあり、相互に乗り入れています。パリ市内には地下鉄が縦横無尽に走っています、1号線から14号線まであり、1号線は凱旋門からシャンゼリゼ通りを通ってコンコルド広場、ルーヴル美術館を経てバスティーユ広場に至るパリ屈指の観光スポットを東西に走る幹線です。


フランス事始め

政治から文化まで世界のモードを牽引してきたフランスを多面的に論じ、知識・理解を深めてもらうことで、我々の人生や社会を豊かにする一助とする。カテゴリーを「地理・社会」「観光」「料理」「ワイン」「歴史」「生活」「フランス語」と幅広く分類。横浜のフランス語教室に長年通う有志で執筆を手掛ける。徐々に記事を増やしていくとともに、カテゴリーも広げていく。フランス旅行に役立つ情報もふんだんに盛り込む。

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