フランスってこんな国!<社会編>

フランスってこんな国!<社会編>

1、大統領権限の強い現代フランス政治

フランスの正式名称は「フランス共和国」です。共和国は君主を持たず、国民が主権を有する国家で、現在では大統領を直接/間接選挙で選ぶ体制が一般的です。フランスは1958年以来、5番目となる「第五共和政」が続いています。第二次世界大戦の英雄、シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle)将軍が首相として大統領に多大な権限を与える第五共和制憲法を制定、その直後に大統領に選出されます。第五共和制憲法は、大統領に首相任免権や議会解散権ばかりでなく、非常事態には立法も含めた権限まで大統領に集中させる大権を有しています。だから、フランスは立法より行政が優位に立つ官僚国家でもあります(お役人が威張っている?)。

             シャルル・ド・ゴール

            (大統領在位:1959~69年)


フランスはそれまで議会優位の体制を採っており、共和政の定着した第三共和政(1870~1940年)以降は首相が大統領より上位に位置していました(現在のドイツのように)。ド・ゴールはその優柔不断な政党政治の堕落ぶりを嘆いたのでした。したがって、現代フランスは議会の権限は日本ほど大きくはありません。議会は、国民議会(下院)と元老院(上院)に分かれます。優先権は国民議会にあり、日本で言えば国民議会が衆議院、元老院が参議院ですね。2017年の国民議会選挙では、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)現大統領が中道派を結集した「共和国前進」が系列政党と合わせて約6割の議席を占め、中道左派の社会党と中道右派の共和党の退潮が目立ちました。

首相は大統領が任命するのが基本ですから、大統領の息のかかった同じ党から選ぶのが普通なのですが、第五共和制の歴史を見るとそうとも言い切れません。単純に大統領は「外交」を、首相は「内政」を担うと言われていますが、第二次大戦後の首相は経済政策で躓くことが多く、大統領は反対派の攻撃をかわそうと対立政党から首相を選ぶこともままありました。これをコアビタシオン(cohabitation=保革共存)と呼びます。現在のマクロン大統領は右派勢力も取り込もうと、首相には中道右派・共和党からエドゥアール・フィリップ(Édouard Philippe)を指名しました。


2、経済政策で失敗、フランス政治は右へ、左へ迷走

戦後のフランス政治は、共和国の精神を死守しようとの理念は生き続けました。しかし、そのなかでも保守と革新の理念の違いによって、政治の振り子は右へ、左へと揺れ動いてきました。それは、経済政策に最も現れています。つまり、競争原理に基づく企業家精神を昂揚して経済の活力を取り戻そうという新自由主義(ネオ・リベラリズム)的な「小さな政府」論と、手厚い社会保障政策によって社会的不平等を少しでも無くそうとする「大きな政府」論と。しかし、新自由主義的に減税や規制緩和を行ってもフランス経済全体を押し上げることはままならず、高福祉政策は国家財政の悪化を招いて景気は好転しないという、どちらに転んでも有用な成果を生み出すことはできなかったというのが実際のところです。大統領就任時には歓呼を以て迎えられたどの政権も、その終盤には不人気をかこつこととなりました。

第五共和政のもと、大統領はド・ゴールのあとその遺志を継いだジョルジュ・ポンピドー(Georges Pompidou)が続き、その死去を受けて非ド・ゴール派のヴァレリー・ジスカールデスタン(Valéry Giscard d'Estaing)がド・ゴール時代の権威主義的な性格を排して中道的な穏健路線に変えました。この時代には二度の石油危機(1973年と79年)によって高度経済成長が終焉した、経済立て直しなど何をやっても上手くいかない時代でした。貿易収支は悪化し、インフレや失業率は高まるばかり。第二次大戦後の政治的には迷走を続けた第四共和政時代を含めて、フランスが経済的繁栄を誇った「栄光の30年」は終焉し、当時の政治・経済的課題をそのまま引きずっているというのが現代フランスの姿です。

ここからフランスは左へ急旋回して、フランソワ・ミッテラン(François Mitterrand)率いる社会党政権が二期14年続きます(大統領任期は当初一期7年、2000年から5年に短縮)。ミッテランの経済政策は、ケインズ流の有効需要を喚起する政策。つまり、最低賃金や社会手当などを引き上げ国民にお金をばらまくことで市場に出回る資金を増大させ、それが循環して企業活動を含めて経済全体を活性化させようというものです。ミッテランは企業の国有化も大規模に推し進め、「大きな政府」を志向しました。

この時代には、アメリカではレーガノミクス、イギリスではサッチャリズムと呼ばれた民営化や規制緩和を基軸とした新自由主義政策が一定の成果を挙げたこともあり、フランスの社会主義的政策が同国のその後の経済停滞を招いたという指摘もあります。その後の民営化の流れのなかでもフランス国鉄やフランス電力、フランス・テレコムなど輸送、エネルギー、情報通信など公益事業部門の株式の多くはフランス政府が握っており、昨今、日産自動車の経営統合を目論んで話題となったルノーの筆頭株主もフランス政府です。

ミッテランの退陣を受けて大統領に選出された旧ド・ゴール派のジャック・シラク(Jacques Chirac)は一転して企業家精神を鼓舞する新自由主義的経済政策を採りましたが、財政赤字削減のための増税や公務員削減などの施策が国民の反発を招き改革は中途半端に終わりました。シラクの後を受けたニコラ・サルコジ(Nicolas Sarkozy)はシラクよりも新自由主義の色彩が濃いが、増税も含め同じ緊縮財政策で躓きました。

           ジャック・シラク(大統領在位1995~2007年) 

             ニコラ・サルコジ(大統領在位2007~12年)


そのサルコジを破って、次に大統領に就任したのが社会党のフランソワ・オランド(François Hollande)。17年ぶりの社会党政権。極端な緊縮財政政策を批判し、経済成長戦略との両立を図ろうとしました。しかし、政府の財布の紐を締めれば経済に潤いを与えられないのは当然で、その両立は至難の業です。結局、公約を実現できず、支持率はどんどん下がっていきました。

各政権の経済政策をみると、保革の基本的理念が混在して五十歩百歩の感は否めず、いったい保守の政策なのか、革新の政策なのか訳が分からなくなっています。先に挙げたコアビタシオンに関して言えば、ミッテラン社会党政権時代に保守政党の共和国連合(RPR)のシラクが首相となった時期があり、そのシラクの大統領時代には社会党のリオネル・ジョスパン(Lionel Jospin)が一時期首相を務めたりと、その迷走ぶりが窺えます。

オランドの後を受けて、2017年5月に大統領に選出されたのがマクロン現大統領。右派も左派も国民全体を糾合した中道の精神が改めて人気を博しましたが、大衆を基盤とするポピュリズム(大衆迎合主義)への志向がないとも言えない。ご多分に漏れず経済改革を打ち出したが、出てきたのは規制緩和や行財政改革といういつもの路線で、18年末にぶち上げたガソリンなど燃料税引き上げに抗議する「黄色いベスト」運動は全国に飛び火しました。


3、EUと共に生きるフランスの選択

ここまで見てきて、フランスという国が経済の立て直しを図ろうにも、常に緊縮財政政策という財政面からの圧迫を受けていることが窺えます。そこには、フランスの加盟するEUのルールが存在します。EUには域内の経済環境を平準化するため物価安定を図らなければならず、各国の年間の財政赤字をGDP(国内総生産)の3%以内に抑えなければならないというルールがあります。そのためにギリシャなど南欧諸国は経済危機にも陥り、EUの存続が危ぶまれたほどです。しかし、フランスはドイツと並んでEUの理念に忠実に、歴代政権はその制約のもとに政権を運営してきました。

そこには、歴史的な独仏の確執があります。この2世紀ほど、フランスは隣国ドイツに痛い目に遭わされてきました。ナポレオン戦争ではヨーロッパ中を席巻したものの結局敗れ、その後は普仏戦争、第一次/第二次大戦とドイツに国土を蹂躙された苦い経験があります。第一次/第二次大戦では非はどうみてもドイツ側にあり、それでも英米の力を借りて戦勝国となりましたが、「隣国ドイツとの協調なしにフランスの平和はあり得ない」との政治的信条が支配的となりました。第二次大戦後に民主主義国として再出発した旧西ドイツとともに、両国、ひいてはヨーロッパの安定、安全保障のためには両国の友好的な関係が第一とヨーロッパ統合への道が切り開かれました。

独仏の闘争の根源は長く両国国境にある石炭と鉄鉱の資源争いにありましたから、これを共同管理する欧州石炭・鉄鋼共同体(ECSC)が両国を含む6カ国で設立(1952年)されたのがその第一歩です。これに尽力したのがフランス人のジャン・モネ(Jean Monnet)で、彼は「ヨーロッパ統合の父」の一人と称賛されます。相互の経済交流が進めば、お互いの利害関係から戦争に簡単に踏み込むことはできません。これがその後、域内の共通関税や共同市場を実現する欧州経済共同体(EEC=1958年)、さらに現在のEUへと繋がっています。2017年時点でのフランスの貿易相手国は輸出、輸入ともドイツが首位です(ドイツ側からはフランスは輸出で2位、輸入は3位)。

現在28カ国の加盟から成るEUは1993年のマーストリヒト条約によって発効されましたが、それとともにヒトやモノが国境検査なしに国境を越えられるシェンゲン協定や単一通貨「ユーロ」の導入など統合の深化は一層進んでいます。85年から10年間、欧州委員会の委員長を務め、これらの統合策を推し進めたのも、フランス人のジャック・ドロール(Jacques Delors)です。お陰で、我々日本人がヨーロッパへ旅行しても、EU諸国のどこかで入国審査を受ければ他のEU諸国のどこへ行ってもスルーパスだし、貨幣もユーロだけを持っていれば両替の心配も要りません。

              ジャン・モネ

         © -/Universal photo(在日フランス大使館提供)      

            ジャック・ドロール(左)

 © Ministère des Affaires étrangères/Frédéric de La Mure(在日フランス大使館提供)


ただ、EU加盟国でもイギリスのように、シェンゲン協定に入らず、ユーロを導入していない国も幾つかあります。イギリスのEU離脱が騒がれるなか、独仏枢軸はヨーロッパ統合の根本であり、両国首脳はこれまで常にこの基本線を死守しようとしてきました。マクロン大統領もその先例に漏れず親EU路線を堅持していますが、国内経済の再生との両立に関してはやはり上手くいっていないのが現状です。これでは、イギリスと同じ道を歩むこともそう遠くはないかもしれません。


4、自由と平等の狭間で

フランス革命によって「自由、平等、博愛」(liberté, égalité, fraternité)の理念を打ち立てたフランスは、逆に相反するこの3つの理念の綱引きによって現代にまで政治・経済的な混迷を引きずっているようにみえます。

例えば、個人の自由をどこまでも優先すればアメリカのような能力主義社会となり、機会的平等はあっても経済格差を生み出すもととなって、社会的平等は達成されない。逆に、労働者の権利を最大限認めて福祉政策を推し進めれば、企業家精神は失われ、経済は停滞し国際競争力も低下する。では、経済の活力を保とうと安い労働力として移民を多く受け入れれば、彼らが貧民街を形成し、彼らを差別対象として外国人排斥の動きも激化する――ことほど左様に一般論からしてもこんな簡単な図式が描け、人間がそれぞれ自由を享受し、しかも社会的に平等であり、さらに社会的弱者も含めて全人類にそれを敷衍するという理想がいかに困難なことか、容易に想像できるところです。

フランス革命の理念は、世界にあまねく普遍性を有しているところにその偉大さがあります。しかし、革命当初は自由と平等の理念も共和国に忠実なフランス国民に限られたもので、ひいては選挙権は男性に限定され、女性に選挙権が与えられたのは第二次大戦後まで待たなければなりませんでした。さらに、博愛精神の対象も同胞のフランス国民に限られたものであって、共和国への忠誠が前提となっていました。だから植民地拡大を続けていた帝国主義時代、植民地の被支配民族は市民として成熟していない子供のような存在だとして自由や平等の権利は与えられませんでした。しかし、その後世界はその「自由、平等、博愛」の崇高な理念を受け取って、普遍的な理念へと高めていきます。

フランスも含め、第二次大戦後の先進国の多くはこの3つの理念をある程度融合させようと、資本主義体制でありながらその行き過ぎを緩和しようと平等主義的な福祉政策にも配慮する混合経済の形を採ってきました。社会的平等を標榜した社会主義国家は、逆に共産党独裁体制のもとでの特権階級を生み出し、個人の自由の極端な抑圧を招き、計画経済の破綻から歴史的使命を終えたかのようにみえます。一方、アメリカやイギリスは諸々の規制緩和や構造改革によって企業家精神を発揮させて経済大国として復権を成し遂げたものの、その内実は移民も含めた経済格差は激しくなる一方で、それが犯罪の温床ともなって社会不安の増大を招いています。

英米両国が新自由主義政策のもと経済復権を成し遂げ、その後日本も含め他の国が追随した時期に、ミッテラン社会党政権にあったフランスは逆に銀行や産業の国有化を進めたことで世界経済の趨勢から取り残された感があります。先に述べたように、その後シラク、サルコジ両大統領が自由主義路線に切り替えたものの、またオランドの社会党政権に戻るといった迷走を繰り返しています。

フランスは新自由主義政策を採ろうが、福祉優先政策を採ろうが、経済が好転せずに各政権の足かせとなってきました。特に、失業率は10%を超える高止まりを続け、2018年時点でも9.2%という高水準にあります。EU域内で経済危機に陥っているスペインやイタリアよりは低くとも、ドイツ(3.4%)やイギリス(4.0%)と比べるとはるかに高い(ちなみに、アメリカは3.9%、日本は2.5%)。10人に1人が失業している社会は、社会不安が増大しても不思議ではありません。

現マクロン政権はこの硬直化したフランス経済を立て直そうと伝統的な保守勢力を結集した政党「共和国前進」を組織、17年5月の大統領選挙に勝利しました。しかし、再び企業家精神を取り戻す路線への転換を目指す政策は、早くも挫折の憂き目を味わっています。

            エマニュエル・マクロン(大統領在位:2017年~)


マクロン政権は法人税率を引き下げる一方で、硬直化した労働市場を改革しようと企業が従業員を解雇し易くし、また燃料税の引き上げを打ち出しました。しかし、ただでさえ労働者の権利の強いお国柄、「金持ち・大企業優遇政策」との批判が噴出し、それが18年末のフランス全土に広がったデモ行動「黄色いベスト」運動へとつながります。挙げ句には、マクロン政権は燃料税引き上げの凍結を強いられる羽目となりました。

燃料税の引き上げには、マクロン政権が同時に公約として掲げる行財政改革があります。先にも述べたように、EUには年間の財政赤字をGDPの3%以内に抑えなければならない、という了解事項があります。しかし、経済が停滞している状況では税収も伸びず、社会保障の切り下げには国民の反発も強く、増税を打ち出すしかなくなります。マクロン大統領は「フランスはEUと共にある」との信念を持っているので、経済成長と財政再建という二兎を追う政策を採らざるを得ないのです。しかし、国民全体の負担の増える燃料税を引き上げては景気浮揚につながらず、一方で企業減税を推し進めては低所得者層の反発を招くのは当然と言えます。


5、アメリカ流グローバリゼーションとの闘い

フランスはド・ゴールの時代から伝統的にアメリカには批判的で、アメリカへの覇権集中とともにその極端な新自由主義政策にはこれまでも異を唱えてきました。フランスは西側陣営に属しながらド・ゴール時代の1964年にはアメリカの反対を押し切って中華人民共和国の共産党政権を承認し、さらに1966年には北大西洋条約機構(NATO)の軍事機構から脱退(2009年に復帰)するなど独自外交路線を展開してきました。

その後、2003年にアメリカがイラクを攻撃した際も、マクロン政権になってからはトランプ政権が気候変動に関するパリ協定から離脱表明した際も、これを批判する急先鋒でした。小麦やワイン、食肉、乳製品など農業大国としてのフランスは世界最大の農産物輸出大国であるアメリカとは対立しがちで、アメリカ農業の推し進める遺伝子組み換え作物やホルモン肥育牛肉などの輸入に常に反発しています。環境問題や生命倫理に関しても、フランスはアメリカとは違う価値観を有しています。

フランスの食料自給率(カロリーベース)は2013年時点で127%(日本は39%)と高い。一方で、核保有国として発電量に占める原子力の比率は72.5%(2016年)に達し、通常兵器の輸出国としてはアメリカ、ロシアに次ぐ3位の座を保っています(2014-18年計で世界全体の6.8%)。軍需産業と関連の深い航空機産業ではエアバスがボーイング(アメリカ)としのぎを削ります。つまり、日本を含めアメリカへの依存の強い他の資本主義諸国と比べ、「自分の国は自分で守る」という意識が徹底しているのです。

その独立独歩の精神は、どこから来るのか。おそらくフランス革命という近代精神の拠り所となりながら、世界の覇権を握ることのなかったという、自負と嫉妬の織り交ざった複雑な感情があるのではないでしょうか。つまり、「文明はアメリカに譲ったが、文化ではフランスは負けていない」というアンビバレントな感情です。

戦後世界のパワー・ポリティックスの点では米ソ二大大国に大きく水を開けられた状況にあって、フランスはヨーロッパを世界の第三極として主導権を発揮する道を選択したのです。その理念は20世紀末の冷戦終結によってアメリカ一極支配の構造の定着した現在、ますます意味を増していると感じられます。しかし、アメリカ主導で進むグローバリゼーションの波には抗えず、フランスの歴代政権は保革に関わらず新自由主義的政策を取り入れるものの、フランスの理念と相容れずに迷走を続けているようにみえます。

しかし、EUへの深化は諸刃の剣でもあります。ここにきて他のEU諸国と同様に、フランスでもEU離脱を求める声が日増しに高まっています。マクロンが勝利した17年5月の大統領選では、極右の国民戦線の党首を務めるマリーヌ・ルペンが決選投票までもつれ込んで善戦しました。加えて、国ごとに議席数を割り当てられている19年5月の欧州議会議員選挙では、国民戦線が改称した国民連合がフランス国内で第1党にのし上がりました。これでは、22年の大統領選もどうなるか分からない状況です。

EU諸国全体に広がっている極右の台頭は、「反EU、反移民」で共通しています。EUに加盟していれば、先に挙げた財政規律を守らなければならない、難民も規約に従って相当数受け入れなければならない、と何かと足かせが多い。そして、移民・難民が増えれば自国民の職は奪われかねないし、治安面で社会不安も増大する――EU域内の国民はどこもそんな不安に駆られて生活しています。地理的にアフリカに近いEU大国、イタリアやスペインばかりか、ヨーロッパ全体で極右勢力の伸長が著しくなっています。EUの精神を引っ張ってきたドイツもご多分に漏れず、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の躍進とともに移民政策の見直しを迫られているほどです。

             マリーヌ・ルペン(国民連合党首)


フランスとて、例外ではありません。フランスは第二次大戦後、ドイツと同様に高度経済成長期の国内の労働力不足を背景に多くの移民を受け入れてきた歴史があります。特に、フランスの植民地から独立したアルジェリアやモロッコなどアフリカ諸国から多くの移民が流入してきました。その後、有能な人材だけを受け入れる「移民統合法」(2006年)を制定するなどその同化政策を進めてきました。しかし、それでもフランス国内の移民・難民居住者は1990年の589万人から2017年には790万人へと増えています。全人口に占める移民・難民比率は17年で12.2%と、EU諸国ではドイツ(14.8%)、イギリス(13.4%)に次ぎます。おまけに他のEU諸国と同様、外国人の失業率は20%以上と平均よりはるかに高くなっています。フランスにおけるアフリカ系移民の生活ぶりについては、「フランスのなかのアフリカ」を参照ください。

参照:「フランスのなかのアフリカ」

国内に外国人がどんどん増え、しかも有能な外国人がフランス社会においてのし上がってくれば、一般フランス人の不満はいやが上にも高まります。移民社会の先駆けであるアメリカほどではなくとも貧富の格差は広がる傾向にあり、カツカツの状況で生活しているフランス人が増えていることが外国人排斥への動きへとつながっています。

フランス革命の精神「自由、平等、博愛」は、人類普遍の原理を求めるところに意義がありました。しかし、それが今やお膝元のフランスにおいても崩れようとしています。デモの「自由」は弾圧され、経済的な「平等」は一向に達成されず、移民との融合を目指した「博愛」精神もどこへやら。マクロン政権の親EU路線は、どこまで持ち堪えることができるでしょうか。


6、平等教育とエリート教育のジレンマ

フランス革命において国民が主権の国民国家を高々と打ち上げたフランスは、その国民たるべき素養として教育についても先駆的な役割を果たしました。富国強兵を目指した明治維新の日本も、最初に見習ったのはフランスの教育制度でした。その基本は初等教育の「義務、無償、非宗教性」という3原則です。フランスは小学校(école primaire=エコール・プリメール)が5年、中学校(collège=コレージュ)が4年で、現在では6歳から16歳までが義務教育となっています。ここに全国民が等しく教育を受けられる機会を保証する平等主義が根付いています。

しかし、フランスは日本よりはるかにエリート社会で、高校(lycée=リセ)からは能力主義が徹底します。リセへの進学率は年々高まっていきますが、大学に入学するにはリセの終業時に全国一斉の大学入学資格試験(バカロレア=baccalauréat)を受けます。ここまでは日本とそれほど変わりませんが、フランスには一般の大学とは別に超エリート大学であるグランド・ゼコール(grandes écoles)と呼ばれる高等教育機関が存在します。

グランド・ゼコールに入るには、リセを卒業後に1~2年程度の準備学級を経た上で、超難関と言われる個別の入試を潜り抜けなければなりません。グランド・ゼコールは数十校とありますが、有名どころでは国家の要職に就く公務員を養成する国立行政学院(École natiounale d’administration)、理工系高級官僚を養成する理工科学学校(École Polytechnique)、中・高等教育の教員養成を主目的とする高等師範学校(École normale supérieure)あたりか。フランスの大学は原則的に国立で歴史的に理論教育が中心ですが、グランド・ゼコールは専門学校として国家に資する人材を育成すべく実践教育を旨としており、したがって設置形態も様々です。フランスの政財官界の大物や有名な思想家など、このグランド・ゼコールの卒業生がフランス社会を牽引しているといって過言ではありません。

しかし、一方では平等教育、一方ではエリート教育という複線型の教育制度は、フランスにおける格差社会という禍根を残しています。フランスも高学歴社会を迎え、大学進学率も日本と同程度となっている昨今では、経済の停滞と相まって、普通の大学を卒業してもまともに就職できない状況が常態化しているのです。若年労働者の失業率(2017年)はEU諸国でも経済危機に陥ったイタリアやスペインなどで高く、フランスも22.1%と平均よりも跳ね上がっています(ドイツは6.8%、イギリス12.0%、アメリカ9.1%、日本4.6%)。移民や低所得者層ばかりでなく、中間層=ホワイトカラー層の国家・社会に対する不満は募っているわけで、日本も含め他の民主国家と同様に市民社会の中核を担うべき中間層の解体が進んでいるのかもしれません。


7、近代国民国家の理念を敷衍できるかの試金石に

どうもフランス流の「自由、平等、博愛」という普遍主義は後退し、アメリカ流のグローバリゼーションという新しい普遍主義に移行しているようにもみえます。英語が世界を席巻し、経済的自由をどこまでも追求するアングロサクソン的文化に対して、フランスはどこまでそのアンチ・テーゼを提示することができるのか。

フランスは英語への対抗意識として、多文化主義を標榜せざるを得なくなっています。しかし、それはフランス語を強制する中央集権化を推し進めた国内においても、ブルターニュやアルザス・ロレーヌなどそもそも言語形態が違い、独自の文化を残す地域の多様性も認めなければなりません。他のヨーロッパ諸国と同様に、コルシカ島(Corse)など潜在的に独立を志向する勢力も根強く存在します。

初等教育の三原則の一つに掲げた「非宗教性」については、1989年にイスラム教徒の女子中学生がその宗教性を特徴づけるスカーフを巻いて登校したことが問題視され、登校拒否に遭った有名な事件があります。これまで移民も含めてフランス国家への同一化を進めてきたフランスですが、移民・難民が増え、一般フランス人も含めて社会的不平等が高まるなかで、これまで同様に自由で平等な市民が共生する国民国家という理念が存続できるかどうかがその試金石となっているのです。

国家の境界線を明確に線引きし、その枠内で国民の同質化を強要する、国民国家という理念自体が危機に瀕しています。フランスはその普遍主義をEUという拡大ヨーロッパにおいて実現できるか実験を進めているわけで、それを全人類に敷衍できる理念に高めることができるでしょうか。

フランス事始め

政治から文化まで世界のモードを牽引してきたフランスを多面的に論じ、知識・理解を深めてもらうことで、我々の人生や社会を豊かにする一助とする。カテゴリーを「地理・社会」「観光」「料理」「ワイン」「歴史」「生活」「フランス語」と幅広く分類。横浜のフランス語教室に長年通う有志で執筆を手掛ける。徐々に記事を増やしていくとともに、カテゴリーも広げていく。フランス旅行に役立つ情報もふんだんに盛り込む。

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